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テレワーク制限を始めた巨大IT企業という「逆説」 - au Webポータル

SNS

なぜこんなにも政治とSNSの相性は悪いのでしょうか(写真:タカス/PIXTA)

本来であれば格差問題の解決に取り組むべきリベラルが、なぜ「新自由主義」を利するような「脱成長」論の罠にはまるのか。自由主義の旗手アメリカは、覇権の衰えとともにどこに向かうのか。グローバリズムとナショナリズムのあるべきバランスはどのようなものか。「令和の新教養」シリーズなどを大幅加筆し、2020年代の重要テーマを論じた『新自由主義と脱成長をもうやめる』が、このほど上梓された。同書の筆者でもある中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、古川雄嗣(北海道教育大学旭川校准教授)の各氏が、「社会的な合意形成」と「自由民主主義」について論じた座談会の最終回をお届けする(第1回はこちら、第2回はこちら、全3回)。

デイヴィッド・ボウイが予言した「宇宙生物」

中野:バーバラ・ウォルターが著書『アメリカは内戦に向かうのか』で、アメリカの政治がSNSのせいでおかしくなっていると書いていましたが、日本の政治も同じような感じかもしれない。陰謀説が流行るのも、SNSで情報があふれて人の処理能力を超えちゃっているから、簡単な答えに飛びついてしまう。

新自由主義と脱成長をもうやめる

テレビや新聞も大概だけれど、SNSの影響はもっと深刻かもしれない。SNSという、認知資本主義のいちばん先鋭化した形態が来ちゃったなって感じがする。

佐藤:SNSというか、インターネットのヤバさを最初にずばり指摘したのは、私の知るかぎり、ロック・ミュージシャンのデイヴィッド・ボウイです。1999年の時点で、こんな趣旨の発言をしたんですよ。「ネットはただのツールだって? まさか。あれは宇宙生物だ。とうとう地球にたどりついたのさ! 興奮させられるが、恐ろしいことも起こる気がする。情報の送り手と受け手が一体化して共鳴したあげく、メディアに関する通念を完全に吹っ飛ばすだろう」。そして、実際にそうなった。

ネットはさしずめ、われわれの頭に接続できる巨大な外付けハードディスクです。20世紀末、人類は自分の脳を拡張する手段を手に入れた。ボウイ風に言えば、宇宙から飛来して地上を覆いつくした脳の化け物との共生が始まったのです。これが情報の検索速度と、処理速度をどんどん上げていった。

ところがこの宇宙脳、ひたすら効率に固執するうえ、自己と他者の境界が曖昧。誰の頭とも接続可能なのだから当然ですが、そうなると「他者と時間をかけて議論する」ことに意義を見出すはずもなく、「『合意形成など不要だ』と合意することが、最も効率的な意思決定の方法だ」という結論に達する。むろん、独裁と民主主義の区別もつけない。こうして自由民主主義は消滅し、世界の効率化が完成に向かう。

中野:ただし、プロセスが効率的になるだけであって、問題自体が解決できるわけではない。くだらないことで結果は出せない。

佐藤:おっしゃるとおり。宇宙脳との共生で頭でっかちになりすぎた文明に対し、肉体の側が復讐を始めたのが、21世紀の最初の四半世紀です。効率化に固執する現在の方向性は、遠からず自滅するのではないか。観念的になりすぎた認知エリートの発想では、要するに結果が出せず、経世済民を達成できないのです。わが国でも平成の半ばごろまでは急進的改革を支持する声が大きかったものの、それも変わってきたように思います。

SNSと庶民の声

:かつて2ちゃんねるにはまっていた私から(笑)、SNSについて若干の肯定論を言わせてもらいますね。SNSって、中間団体が機能しなくなったこの時代に、庶民の声を届ける手段として一定の意義はあると思います。

ただ、反対意見に耳を傾けず、自分の好きな意見だけ受け入れる結果、どんどん意見が先鋭化・極端化してしまういわゆる「エコーチェンバー」現象が起こりがちなことは否定できません。

でも、マスコミに載らない情報を探す手段としては、ネット掲示板も含むSNSはとても有効です。昔みたいに、一つの新聞だけが正しいと信じる学生が減ったのもSNSのおかげかもしれません。日経新聞の緊縮財政論に対しても、人々が免疫を持ち始めているのは、SNSの影響だと思います。

施 光恒(せ てるひさ)/政治学者、九州大学大学院比較社会文化研究院教授。1971年、福岡県生まれ。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士(M.Phil)課程修了。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 (集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など(写真:施 光恒)

ただ、悪いところもあるのは確かで、先ほど申し上げたように、いわゆるエコーチェンバーで、同じような意見、自分の好きな意見ばっかり聞いてしまいます。反トランプ派は反トランプ派の声しか聞かなくなるし、反ワクチン派は反ワクチン情報ばかりに触れることで、意見が固まりすぎてしまう。もちろん、それぞれ逆もまたしかりです。

これは、対面でのコミュニケーションが持つ、認知面以外での交流がオンラインでは難しいからだと思います。例えば、うちの大学でも、コロナ以降、教授会がオンラインでしか開催されず、教員同士のコミュニケーションがほとんどなくなったんです。これは、ナショナリズムの話にもつながるかもしれませんが、ナショナリズムって、意見が違っても「まあ、仲間だから」という共同体的な絆が大切ですよね。自由民主主義も、そういう「違っても同じ」という絆に依存していると思います。

でも、SNSでは、認知的な情報だけでつながってしまうから、異なる意見という認知面での相違を持つ人同士の仲間意識を持つことが難しくなってしまうんじゃないかと感じますね。

古川:庶民の声を届ける手段としてのSNSの利点は確かにあると思います。特に、声を上げることもできない弱い立場にある人にとっては、自分の置かれた状況を社会に直接訴える有効な手段になります。でも、本来的には、そういう人々の声をすくい取るのが中間団体の役割だったはずですが。

むしろ、SNSの利点は、しばしば「圧力団体」とも表現される中間団体の負の側面を牽制する機能にあると言ったほうがよいかもしれません。わかりやすい例は学校のいじめです。学校や教育委員会が組織的に隠蔽して取り合ってくれなかったり、警察も動いてくれなかったりとなると、被害者はSNSを通じて社会に直接窮状を訴えるしかありません。

私が住んでいる旭川市でも、2021年に女子中学生が凄惨ないじめを受けて自殺した事件がありましたが、あれなどはその典型です。学校にも警察にもまったく取り合ってもらえなかった遺族が、SNSで訴えたことがきっかけで社会的な問題になり、ようやく市が再調査に動いたという経緯があります。SNSがなければ泣き寝入りするしかなかったわけで、あのときばかりはさすがの私もSNSがあってよかったと思いました。

そういうふうに社会の不正を告発する上でSNSは大きな力を持ちますが、あくまで補助的・補完的であるべきで、それ自体が主要な手段になってしまうと、結局は全体主義的な社会にしかならないでしょう。

テレワークを制限し始めた巨大IT企業

中野 剛志(なかの たけし)/評論家。1971年、神奈川県生まれ。元・京都大学工学研究科大学院准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文‘Theorising Economic Nationalism’ (Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『富国と強兵』(東洋経済新報社)、『小林秀雄の政治学』(文春新書)などがある(撮影:尾形文繁)

中野:逆説的かもしれないけど、リアルなコンタクトの重要性を説いた施さんの話で思い出しましたが、実はGoogleみたいな巨大IT企業がテレワークを制限したらしいんですよね。認知エリートたちが、「オンラインだけじゃダメだ、リアルで集まらないと」って判断しているわけ。でもそれって、よく考えたら当たり前のことで、ネットですべてが完結するなら、なんでシリコンバレーにみんな集まりたがるんだろうって話ですよね。

だから、本当に逆説的ですけど、仲間意識とか同胞意識とか、フェローシップとかアタッチメントとか、感情的なものが重要という話だけじゃなく、認知的な面から見ても、イノベーティブなことをやろうとするなら、リアルなコンタクトのほうが依然として処理能力、伝達速度が全然高いのです。マイケル・ポランニーの言う「暗黙知」の共有とかも含めれば、リアルのほうが格段に上だということを、認知エリートの極致にいるような連中だからこそ知っているっていうのか、わかったというのか。

佐藤:物理的に会って話すと、言葉による意識的なコミュニケーションとは別に、身体の動き、さらには空気や気配による無意識的なコミュニケーションが行われるんですよ。それによって、言葉の意味が異なるニュアンスを帯びたり、時には裏返しになったりする。人間の本心は、「言語化できること」と「言語化できないこと」の交錯のうちにあるわけで、前者ばかりにこだわると表面的なことしか伝わらない。

暗黙知とフィジカルなやり取り

:それはそうですよね。暗黙知の話で言えば、マイケル・ポランニーはこう言っています。熟練した医者は、医者本人でさえ言語化はできないけれども、なんとなく患者の顔色や歩き方から病気を見抜くことができると。だから、中野さんがおっしゃったような感じで、暗黙知は、実は非常に多くの情報を含んでいます。

古川 雄嗣(ふるかわ ゆうじ)/教育学者、北海道教育大学旭川校准教授。1978年、三重県生まれ。京都大学文学部および教育学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。専門は、教育哲学、道徳教育。著書に『偶然と運命――九鬼周造の倫理学』(ナカニシヤ出版、2015年)、『大人の道徳:西洋近代思想を問い直す』(東洋経済新報社、2018年)、共編著に『反「大学改革」論――若手からの問題提起』(ナカニシヤ出版、2017年)がある(写真:古川雄嗣)

加えて、人間の思考って、本来的にはまさにフィジカルなやり取り、対面のコミュニケーションを通じて発展してきたところがあるのかなと思います。子ども時代の経験についても、他者の視点を理解したり、多角的に物事を見たりする能力はそこから育つのだと思います。そうした実際の対面の他者とのやり取りを内面化したものが個々人の思考ですよね。だから、対面でのやり取りがなくなってしまったら、認知面でも思考の質自体が落ちるんじゃないかと思うんですよね。

古川:希望があるとすれば、若い人たちにとってコロナの経験はやはり相当つらいものだったようで、もうあんな生活はこりごりだという雰囲気があることです。友達とも画面上でしか会えない、飲み会もできない、授業も全部オンラインというなかで、精神的にバランスを崩した子も多かったです。そういう苦い経験をふまえて、彼ら自身が、コロナで失われたものを取り戻したいと言って、対面で集まって話をする機会を意図的につくるなどの動きも出てきています。

古川:私は『新自由主義と脱成長をもうやめる』のなかで、今の若い子たちは完全にアトム化してしまっていて、みんなで話し合って自分たちで自分たちの社会をつくるなんて、そんな面倒くさいことだけはしたくないようだと言いましたが、ひょっとしたら変わっていくかもしれません。面倒でやりたくないと思っていたけれど、あまりにもそれがなくなると、もっとつらいということをコロナで思い知らされたという子もいました。複数の人間が寄り集まって、直接言葉を交わしながら共同で何かをやっていくということは、面倒だけどやってみると楽しいものだというふうに、もし変わっていけば、まだ希望はあるかもしれません。

若い人だけではなく大人も同じで、地域の祭りなどの行事を見ても、明らかにコロナ前よりも賑わっていて、みな生き生きとしています。私もなるべく積極的に足を運ぶようにしていますが、「やっぱりこういうのはいいなぁ」という声をよく耳にします。そういう地域の小さな共同体の公共的な活動のよさや大切さを、コロナを契機に再発見したという人は多いはずで、国や自治体がそれを本気で後押ししていけば、本当は変わっていくはずだと思うんですけどね。

「演劇性」の再発見で自由民主主義を再生させよ

佐藤 健志(さとう けんじ)/評論家・作家。1966年、東京都生まれ。東京大学教養学部卒業。1990年代以来、多角的な視点に基づく独自の評論活動を展開。『感染の令和』(KKベストセラーズ)、『平和主義は貧困への道』(同)、『新訳 フランス革命の省察』(PHP研究所)をはじめ、著書・訳書多数。さらに2019年より、経営科学出版でオンライン講座を配信。『痛快! 戦後ニッポンの正体』全3巻、『佐藤健志のニッポン崩壊の研究』全3巻を経て、現在『佐藤健志の2025ニッポン終焉 新自由主義と主権喪失からの脱却』全3巻が制作されている(写真:佐藤健志) 

佐藤:その意味では、もっと演劇に盛んになってほしいですね。演劇と映画の最大の違いは、クローズアップがないこと。つまり舞台では、いつでも役者の全身が見えるわけです。言い換えれば「言葉による意識的なコミュニケーション」と「身体や空気による無意識的なコミュニケーション」が、たえず同時に行われる。

これこそ、舞台の感動が非常に濃密なものとなりうる秘密です。役者は言葉と身体の双方で話すことにより、演じる人物の内面を丸ごと提示する。演劇とは、人間が最も深いレベルでわかり合える可能性を追求する芸術なのです。そのような相互理解が成立するとき、社会的な合意が形成されないはずはない。

座談会の第2回で紹介したジャン・ジロドゥは、「芝居がむしばまれたら、国民もむしばまれる」と喝破しました。自由民主主義が生きのびる道は、人生の演劇性を再発見することで、ボディ・ポリティックの身体性を取り戻すことにあると言えるでしょう。

(「令和の新教養」研究会)

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