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カネボウとJAL、今だから知りたい明暗の裏側 - 東洋経済オンライン

JALとカネボウ

バブル後遺症を引きずったまま沈んだカネボウと見事復活したJALとの差はどこに(撮影:尾形 文繁)

バブル崩壊の後、多くの大企業が経営破綻した。金融・証券業界では、山一証券、三洋証券、北海道拓殖銀行、他の業界では、ダイエー、ヤオハン、カネボウ、JALなどが破綻した。破綻の主な原因はバブル後の景気低迷や膨らんだ不良債権であり、概ねバブル後遺症といっていいだろう。

しかし、一括りにバブル後遺症といっても、ひとつひとつをみていけば、破綻の原因も損傷の度合いも、またその後の運命も大きく違っている。たとえば、カネボウとJAL。ともに世間を驚かせた大型倒産だが、前者は姿を消し、後者は見事に再建を果たした。いったい何が、明暗を分けたのだろうか。

大和証券元常務取締役・恩田饒氏がつづった「バブル胎動からアベノミクスまで」のリアルな告白ドキュメント『実録 バブル金融秘史』から一部を抜粋、再構成してお届けする。

戦後を代表する老舗繊維メーカー・カネボウ

カネボウという名前を記憶している人もだいぶん少なくなっただろう。

1887(明治20)年、墨田区鐘ヶ淵で創業したことから社名を鐘淵紡績とし、後に「カネボウ」と改称した。戦前は、繊維産業がかつての鉄鋼、現在でいえば自動車産業のような基幹産業で、昭和初期までは国内企業の中で売上高1位を誇り、隆盛を極めた時代があった。カネボウは、名門中の名門企業だったのである。

1945(昭和20)年の大空襲で兵庫工場など国内外の工場を失い、ゼロからの出発を余儀なくされたが、それでも終戦時のわが国を代表する企業といえば、それはやはり「カネボウ」だった。

戦後は多角化を進め、繊維・化粧品・食料・薬品・日用品などの事業を展開する。とくに化粧品事業は、1980年代の安定成長期に、猛烈な営業攻勢と人気タレントを起用した宣伝広告で、業界首位の資生堂を追い上げていた。

筆者もこの頃のカネボウの勢いはよく覚えている。大和証券時代に担当していたことがあるからだ。カネボウの当時の社長・伊藤淳二に会いに行ったときのことである。伊藤はカネボウの「中興の祖」といわれ、2003(平成15)年に名誉会長を退くまで35年余も君臨していた。伊藤体制下でのカネボウは、その雰囲気が、他の大企業とは明らかに違っていた。

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