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JR東海元会長・葛西敬之氏死去 「決断即実行の勇気」実践し続け - 毎日新聞 - 毎日新聞

葛西敬之氏=2003年11月17日、中村琢磨撮影 拡大
葛西敬之氏=2003年11月17日、中村琢磨撮影

 27日までに死去したJR東海名誉会長の葛西敬之さんは、旧国鉄の内部から分割民営化をリードし、JR東海では実質トップとして長年君臨。東海道新幹線を経営の柱に据え、リニア中央新幹線の建設に尽力した。保守派の論客としては安倍晋三元首相ら政治家のブレーンも務め、その影響力は運輸業界にとどまらなかった。

 学生時代に定期券と学生証を落として受け取りに行った際、駅の助役から「東大なら国鉄で出世は早い」と勧められたのが入社のきっかけ。だが、当時の国鉄の経営状態は厳しく、後に「年度の事業計画も、運賃も、賃金も、設備投資も全てが国会という政治の場で決められる国鉄という仕組みの必然的な結末は崩壊しかなかった」(2004年・毎日新聞愛知県版連載)と振り返っている。その経験が、その後のリニア建設費の全額自己負担へとつながった。

 国鉄では労働組合管理に腐心し、改革派の若手1番手として頭角を現した。松田昌士氏(後のJR東日本社長)、井手正敬氏(後のJR西日本社長)と合わせて「3人組」と呼ばれるようになり、反対派の反撃をかわしながら民営化をリードした。

 JR東海では、発足直後から東海道新幹線への積極投資を進めた。全編成を16両にするなど規格統一でコストを削減した一方、品川駅開業に伴う「のぞみ」増発など効率化を進め、高収益企業の基礎を作った。さらに名古屋駅ビルを建て替えてJRセントラルタワーズを開業させ、本業以外の増収も図った。

 その結果、国鉄から引き継いで発足時に5兆円以上あった長期債務も、16年3月期に約2兆円まで縮小させ、新幹線が生み出すキャッシュフローをリニアの建設につぎ込んだ。名古屋駅ビル建設や新幹線品川駅開業は周辺開発の呼び水になり、JR東海の求心力を高めることにもつながった。

 国鉄民営化に向け、当時の三塚博運輸相と協力し合うなど政治家との関係も深かった。特に安倍元首相とは頻繁に食事する仲として知られた。国家公安委員や政府の教育再生会議委員なども務め、国の原子力損害賠償支援機構の運営委員として、東京電力の実質国有化や組織改革にも携わった。

 JR東海では、副社長に就任した1990年から28年間、代表権を持ち続け、実質トップとして君臨した。一部で批判を集めたが、「僕にしかできない仕事がある」などと答え、新幹線の海外売り込みに最後まで尽力した。

 保守派の論客として、新聞にコラムを持つなど執筆活動も旺盛だった。トヨタ自動車や中部電力に掛け合い、中高一貫の男子校「海陽学園」(愛知県蒲郡市)を開学させ、次世代のリーダー育成にも力を入れた。前出の毎日新聞連載では「リーダーとはルールを作る者であり、与えられたルールのもとでベストを尽くす者ではない。少なくともその気概が必要だ。外に向かう情熱、未来に向かう夢、決断即実行の勇気こそが指導力の本質だ」と強烈なリーダー像を記した。自らそれを実践してみせた人生だった。

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