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「妻子以外は全部入れ替えろ」「危機を考えろ」…警鐘鳴らした革新家・李健熙 - 朝鮮日報

 故・李健熙(イ・ゴンヒ)サムスングループ会長は韓国企業を史上初めて世界トップに押し上げ、韓国も世界トップになれるという自信を植え付けた財界の巨頭だった。故人は幼いころから並外れた集中力を持ち、仕事であれ趣味であれ、最後まで没頭した。李会長のそうした集中力は世界一流にこだわるサムスンのDNAとして定着した。

 李会長は1942年、大邱でサムスングループ創業者、李秉チョル(イ・ビョンチョル)と朴杜乙(パク・トゥウル)夫人の3男5女の7番目として生まれた。息子の中では末っ子だった。李会長は11歳だった53年、「先進国を見習え」という父の言葉に従い、東京に留学した。李会長は日本留学中に韓国系のプロレスラー、力道山を直接訪ねるほどレスリングに夢中になった。留学を終えて帰国した李会長はソウル大師範大学附設高校に通い、レスリング部で活動。2年生の時には全国レスリング大会のウエルター級で入賞した。

 66年に経営に加わった李会長は70年代に米シリコンバレーに出入りし、半導体産業への進出を目標に掲げた。李会長は74年、私財を投じ、韓国半導体の株式50%を取得した。この決断はサムスン電子が世界トップの半導体企業となる礎石となった。

 李会長が兄の李孟熙(イ・メンヒ)、李昌熙(イ・チャンヒ)氏を抑え、サムスングループの経営権を引き継ぐ上では、「韓国肥料サッカリン密輸事件」が重要な契機となった。兄2人が事件に関与した疑惑が浮上し、次男の李昌熙氏は逮捕された。李秉チョル氏は事件の責任を取り、韓国肥料の株式51%を国に献納した。その後、李孟熙氏がグループ総帥代行を務めたが、その後グループ全体が混乱に陥ったのを見て、李秉チョル氏は李健熙氏にサムスンを委ねることを決断した。77年、李秉チョル氏は日経ビジネスのインタビューで「一番下の息子が後継者だ」と述べ、後継体制を公式化した。翌年、サムスン物産副会長に昇進した李健熙氏は父のすぐそばで働き、経営を学んだ。

■フォーブスが選ぶ「最高の雇用主」1位にサムスン…TOP10は?

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