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中国料理店より勢いがある…コロナ禍の横浜中華街でどんどん増えている「意外な商売」(2022年2月20日)|BIGLOBEニュース - BIGLOBEニュース

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/coward_lion

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最近、横浜中華街でどんどん増えている意外な商売がある。立正大学の山下清海教授は「空き店舗に占い店が入るケースが増えている。コロナ禍でも勢いはとまらず、今では3つのグループが競う激戦区となっている」という——。

※本稿は、山下清海『横浜中華街』(筑摩選書)の一部を再編集したものです。


写真=iStock.com/coward_lion
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■日中国交正常化から今の「横浜中華街」ができた

横浜中華街は、もともと華僑と日本人が共存する町であった。

それが1972年の日中国交正常化を契機に中国ブームが起こり、中国料理店、中国食料品・物産店、中国民芸品店など中国関係の店舗が増加し、今日の「横浜中華街」イメージが形成されていった。

中国色一辺倒のまちづくりが進む中で、やや性格の異なる店舗が、1978年、横浜中華街に進出した。トルコ語で「寄り合い茶屋」を意味する店名のエスニック雑貨店「チャイハネ」である。

チャイハネのコンセプトは、「インドやネパールを中心とした雑貨と衣料を、暮らしの中に取り入れてもらおう」というものであった(横浜中華街発展会協同組合監修、2005年)。


■なぜかエスニック雑貨店「チャイハネ」が大人気に

筆者は、横浜中華街にチャイハネを創業した人がどんな人物であったのか、興味をもって調べてみた。

チャイハネの創設者、進藤幸彦(1939〜2016年)は、民俗学を学ぶため東京教育大学(筑波大学の前身)文学部史学方法論専攻に進み、1965年に卒業した(筆者が地理学を学ぶために、東京教育大学理学部地理学専攻を選んだのと共通するところがある。私自身も文学部の教室に行って、史学方法論の民俗学に関する講義を受講した)。

進藤は大学卒業後、東京の本郷高校の教諭を7年間勤め、この間、1969、70年にトルコ政府給付生としてトルコにおいて民族芸能の研究を行った。1973年、高校教諭をやめた後、海外の民芸品などを扱う輸入会社の勤務を経て、自らエスニック雑貨店「チャイハネ」を、1978年に現在の南門シルクロードに創業したのである。


■「シルクロード」という絶妙なネーミング

進藤によれば、この場所は横浜中華街の中でも元町がすぐそばにあり、「シルクロードのような西域的な文化を展開するには一番いいと思ったのです。しかも寂(さび)れているから、家賃も安い」。

なお今日の南門シルクロードという街路名は、シルクロード地帯の商品を扱うチャイハネがあったからこそ命名されたものである(横浜商科大学編、2009年、189~206頁/『豆彩』編集部編、2018年、21頁)。

チャイハネが開業する以前の南門シルクロードは、外国人居留地時代は本村通りと呼ばれ、その後、南門通りとなったが、中国料理店などは少なく横浜中華街の裏通り的な道であった。

西洋的でハイカラなイメージをもつ元町から、前田橋を渡り、南門(現・朱雀門)をくぐると南門通りとなり、いよいよ東洋的な中華街に入っていく。西洋と東洋を結ぶのがシルクロード。南門通りが南門シルクロードと呼ばれるように至った「理屈」がここにある。


■「NHK特集」によってブームに

開店2年後、「チャイハネ」は人気となった。その追い風となったのが、すでに述べた1980年4月から1年間放送された「NHK特集シルクロード」によるシルクロード・ブームであった。

その後、チャイハネは全国各地に60以上の店舗を展開している(2021年現在)。

南門シルクロードに「パート1」および「パート2」の2店舗を構えるチャイハネに対して、同業種のマライカ中華街店が2009年に進出し、シルクロード的雰囲気をさらに高めている。


■いつから占い店が増加したのか

近年、横浜中華街を訪れるたびに感じるのは、占い店の増加である。いったいいつごろから占い店が増えてきたのだろうか。

中華街発展会は毎年、「横浜中華街ガイドマップ」を発行している。過去にさかのぼって調べてみると、2003年版に「その他」のジャンルで、「占いやかた」の本店、3号店、4号店の3軒が記載されている。

独立した「占い」ジャンルが出てくるのが2011年版で、8軒が記載されている。2021年版の「占い」には16軒が記載されている。これらの占い店は中華街発展会の会員であり、このほかに非会員の占い店も少なくない。


■中華街に占い店を広めた人物の名

では、中華街なのに、どうして占い店が多くなったのだろうか。「中華街の女仙」(「女仙」・「仙女」は女性の仙人の意)と呼ばれた人がいた。

山縣由布(1927〜2010年)である(山縣由布、2009年)。

1991年頃に日本のバブル経済も終焉(しゅうえん)し、繁栄を見せていた横浜中華街も不況で空き店舗が増えてきた頃であった。

日光の江戸村で占い師をしていた山縣は、1995年、横浜中華街で2坪の場所を借り、占い店を始めた。山縣によれば、占い業は一坪の場所さえあれば成立し、必要なのは一つの机とイス3脚、そして占い師。ここで、手相一律1000円で始めた。

2005年に「鳳占やかた」を設立。その後、横浜中華街の中の横浜バザール、チャイナスクエアなどに新店舗を開業した。

さらに占い師を養成する「みかど学院」を市場通りに設立した。


写真=iStock.com/yacobchuk
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■バブル崩壊で空き店舗が増えたことが要因

ここで、占い店急増の要因を考えてみよう。まず設備投資費用がわずかで、店舗スペースも狭くても大丈夫であること。

次にバブル崩壊後、中華街に空き店舗が増えたが、そこに占い店が入るケースが増加したこと。

つまり店舗が閉店した後、新たな入居を待つ一時的な期間でも、占い店であれば即座に開店することができ、新たな店舗の入居が決まれば、直ちに立ち退くことも難しくはないのである。


■激戦区に広がる三つのグループ

横浜中華街は、今や占いの激戦区となった。

そして訪れたら、ついでに占ってもらおうという流れが、特に若い人たちの間で定着してきている。

先に述べたように、中華街発展会作成の「横浜中華街ガイドマップ」2021年版に記載されている16軒の占い店をみると、大きく三つのグループからなることがわかる。

一つは前述の「鳳占やかた」(4軒)である。同業者の「愛梨 占い館」も横浜中華街内に3店舗をかまえ、ウェブサイトでは「日本最大級の占い館」を謳っている。

南門シルクロードにある愛梨本店カモメ館には、12人の占い師(鑑定士)が顔写真付きで紹介されている。「鳳占やかた」および「愛梨占い館」ともに料金設定はほぼ同じである。手相鑑定が1100円(7分間)、タロット・算命学・四柱推命・気学・西洋占星術が各3300円である。

両グループより低料金なのが「縁占館」で、横浜中華街に4店舗あり、手相占い500円(税別)からをアピールしている。


■中国人ではなく日本人が占うが…

占い店の客は、日本人の若い女性が多く、占い師も基本的に日本人である。

中華街と占い店との直接的な関係は乏しく、この占いブームがいつまで続くかはわからないが、横浜中華街を訪れた際に占い店にも立ち寄るというのが、若者の間で流行っている。

インターネット上では、関帝廟(かんていびょう)や媽祖廟(まそびょう)は横浜中華街のパワースポットであると書かれ、横浜中華街の中にある占い館で、どこが当たるかというランキングなどが評判になっている。


■占い店の勢いはコロナでも衰えない

2020年以降、コロナ禍の影響で、横浜中華街の来訪者が大幅に減少し、倒産に追い込まれる店舗も増えていった。このような状況下で、新たに飲食店を開業しようとする例は減少したが、占い店の開業は勢いが衰えない。

横浜中華街発展会の高橋伸昌理事長は、横浜中華街に占い店が多い理由について、私に次のように説明した。

横浜中華街には10基の牌楼があり、関帝廟、媽祖廟もあります。横浜中華街は「風水思想で守られた街」です。風水思想と占いは、つながっているとみなされているようです。中華街と占いの組み合わせは、今の時代に合っているのかもしれません。


■水族館、寿司屋…増加する「非中国的」な店舗

このほか横浜中華街には、これまでなかったような「非中国的」な店舗が増加している。


山下清海『横浜中華街』(筑摩選書)

2004年、お笑いで有名な吉本興業のプロデュースにより、中華街大通り沿いに「よしもとおもしろ水族館」が開館した。

2013年に「ヨコハマおもしろ水族館」と改称し、約400種、1万匹の魚が展示された(しかし2021年11月23日に閉館した)。

また2011年3月には、「すしざんまい横浜中華街東門店」が進出した(オープンして1週間後、東日本大震災が起こった)。「24時間年中無休」が「すしざんまい」のウリで、近隣のオフィスに勤めるビジネスマンや海外からの観光客などもターゲットに、中華街大通りに進出したのだ。


■世界各地の中華街で進む多様化

もともとこの場所には、いかにも中華街らしい中国食品・民芸品の販売店「萬順行」があった。中華街大通りへの「すしざんまい」の進出に対して、萬珍樓社長(当時)の林兼正は「中華街には、昔からすし屋が何店か営業しているので、さほど違和感はありません」と述べている(林兼正、2014年、96頁)。

海外の各地のチャイナタウンを見ていると、横浜中華街におけるこうした中国料理店以外の店の増加は、至極当然といえる現象である。

チャイナタウンは華僑が形成したエスニックタウンであるが、時間とともに変容していく。海外各地のチャイナタウンは、どこも多文化、多国籍化が進んでいる。新たな移民やホスト社会(移民にとって受け入れる側の社会)の資本などが流入し、変容を続けていくのだ。

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山下 清海(やました・きよみ)
立正大学教授
筑波大学大学院地球科学研究科博士課程修了。理学博士。立正大学地球環境科学部地理学科教授。筑波大学名誉教授。専門は、人文地理学、華僑・華人研究。著書に『世界のチャイナタウンの形成と変容』(明石書店)、『新・中華街』(講談社選書メチエ)、『池袋チャイナタウン』(洋泉社)、『東南アジア華人社会と中国僑郷』(古今書院)、『チャイナタウン』(丸善ブックス)などがある。
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(立正大学教授 山下 清海)

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